The Oriental Wave - 融合


この絵は2001年5月、
私がNYに飛び立つ直前に仕上げた作品である。
翌年の2002年5月、
故郷の富山市にある国指定史跡安田城跡で
「感覚の解放」という個展を開く。
そのときのパンフレットに書いた詩をみつけて私は思う。
あれから10年、
自分も世界も、まだまだ旅の途中。
目的地にはほど遠い。
でもあきらめないで
ひとりひとり
伝え続けたい。

      *

「The Oriental Wave - 融合」

世界も民族も個人も
この星に暮らす全ての人々は
それぞれの病める部分を統合できず
争いや葛藤に苦しんでいる

それはたぶん
人の生きるいつの時代にも
混沌と存在するのだろう

しかし私は
宇宙にも地球にも子宮にも
海水の一滴にも
その全てに
美しいリズムが調和を織りなして
神秘のように流れているのを感じる

世界は、光だけでなく闇だけでもない
その「両方」なのだと思う
戦争も平和も
肉体も魂も
見えるものも見えないものも
存在する陰陽の全てを調和し
融合しようという東洋の思想を
私はとても愛している

それは
病める部分も私達の一部であるということなのだ

個は全、全は個なのである

だから、すべてを優しくとりこもう
この深く偉大なる東洋のエッセンスを
物質主義と利己主義に陥りかけている世界へ
心をこめて送りだそう

愛をこめて
祈りをこめて
しなやかに
力強く

今だからこそ
大きなウェーブにして
世界に送ろう


吉野美奈子 
(2002.5.5 感覚の解放パンフレットより)



# by minakoyoshino | 2012-05-11 16:39 | ◆energy | Comments(4)

破壊から再生


2011年
私は日本の震災復興を願い、
大理石彫刻3部作「祈りのシリーズ」を制作した。
英語タイトルは「For Japan」だった。

この話は、どこからはじめていいのか、自分でもまだよく整理ができていない。

3部作の中の最終作品を、私は「EMERGE」と名付けた。
EMERGEとは、
「暗闇や苦境か­ら抜け出す、太陽等が昇る」という意味である。
これを上手く言い表せる日本語がないので、
日本語タイトルは「光へ」に決めた。
困難な状況でも、なお光を目指して生きたいという
祈りにも似た呼びかけだった。

彼女は今、石の中から目覚め、出てこようとしている。
そこに私は全身全霊で復興の祈りを込めた。
震災から9ヶ月後、「2011年12月11日」
EMERGEは完成し、
私はその日付でサインを入れた。

「2012年2月13日」
午前10時30分頃、
震災復興の祈りをこめて制作した大理石彫刻「EMERGEー光へ」は
何者かによって破壊されて発見された。
事件はおそらく2月11日または12日の夜に起こったと推定された。
彼らが彼女を盗難しようとして失敗したのか、単なる事故に巻込まれたのか
全ては謎のまま、謝罪の言葉もなく
私の目の前には、ただ「コワサレタ彼女」が横たわっていた。

どこからともなくたくさんの人々が集まってきたが
誰も私に声をかけることはなかった。
きっと誰かが何かを言えば、私はひとりで立っていることもできないほど
まるでヒビだらけのガラス細工のように意識も感覚も壊滅していた。
「コワサレタ彼女」を取り囲んで、
彫刻スタジオは葬儀のようだった。
「なんて皮肉なー。」
と人々は遠くで囁き合った。

彼女を目にすることも、触れることも、語ることさえも、
私には堪え難い苦痛だった。
よりにもよって、何故、
復興を祈念したEMERGEに、こんな事件が起こるのか?


私は自分のスタジオにもどって
キャンドルを灯し嫌というほどひとりで泣いた。

「何事にも永遠は無いのだ。モノは壊れるのだ。」
と何度も自分に言い聞かせた。

でも涙は止まらなかった。
彼女はもはやただの石ではなく
EMERGEという名の私の分身だった。
不思議と誰かを恨むという気持ちは無く、
私はただひたすら哀しかった。

しかし
3日ほど泣き明かして3回目の朝を迎える頃、
私にはぼんやりと
この事件の本当の意味がわかってきた。

「私は試されている。」

痛みと哀しみの中で、傷を抱えながら、
それでもなお、光を目指して生きられるのか。
果たして私にその精神力と能力があるのか。
世界にいったい彼女を救う術は存在するのか。
私はまず、
正面から傷ついた彼女と向かいあわなければならなかった。
傷口を正しく理解しなけば、何もはじまらないからだ。
技術的には、
あそこまで完璧に磨き上げた作品を
どんなに修復しても限界があると誰もが思った。
それは、かつて私が
一度も踏み込んだことのない未知なる領域なのだ。

だからと言って
私があきらめてしまったら、
一体誰が彼女を救うのか?

EMERGEはまるで「日本」だった。

私は沈黙のまま
来る日も来る日もひとりで彼女と向かいあった。
スタジオの1室はオペレーションルームとなり
まるで集中治療室のように何週間も
大きく「立ち入り禁止」のサインが貼られた。

 「ただベストを尽くそう。
  もとのように完璧にはなれなくても、
  きっとどこかにはたどり着けるはずー。」

ああ、どうか3月11日の一周年を
復元させて
再生させて
彼女と共に迎えたいーと
私は願った。

        *

映像作家ルディ・ブラボが
「EMERGEー光へ: 破壊から再生の物語」を
短いドキュメンタリーにまとめてくれました。
ご高覧いただければ幸いです。

ニューヨークから
ありったけの愛をこめて

吉野美奈子




# by minakoyoshino | 2012-04-30 08:48 | ◆energy | Comments(2)

ありがとう

私はマンハッタン57丁目で、
クロスタウンのバスを待っていた。
ほどなく来たバスに乗って、一番前の席に座った。
私の目の前には女性ドライバーがいた。

NYのバスは停留所の表示もでないから
街を知らないで乗るのが難しいと人は言う。
おまけに普通は車内アナウンスもでたらめか
何か言っていても聞き取れないことが多いから
観光客にはたいへんである。

でも、今日のドライバーは違ったのだ。
美しい英語で、とても丁寧に次の停留所、乗り継ぎできるバス、地下鉄の案内をした。
全て完璧な情報で、こんなドライバーには10年住んでいて会ったことがなかった。
しかも、
「パークアベニューに行きたい方はそこでは停車しないから
こちらで降りてください。」
と先回りの案内まで入るのである。

このように日本では超あたりまえのようなことに
私はものすごく驚き、感動したのだ。
彼女の仕事はすべてが丁寧だった。
車の運転の仕方も。話し方も。
人に対しても。モノに対しても。
でも、そんな彼女にThank youという人は
10人にひとりもいなくて、
それもまた驚きだった。

次のアベニューで降りる私は
少し早く席を立って、彼女の隣で言った。

「私、あなたの車内アナウンスがとても好き。NYで一番だと思う!」

彼女はにっこり知的に微笑んで
「Thank you very much」と言った。

「こちらこそどうもありがとう!」
と手を振って、私はバスを降りた。

私は伝えられて嬉しかった。
あんなに美しい仕事をする人には
その素晴らしさを伝えてあげなくちゃ。

サードアベニューを歩きながら
私はふっと高校生のときの友人との会話を思い出した。
私の田舎の富山には路面電車が走っている。
私は電車を降りるときに車掌さんに
「ありがとうございました」というのが普通だった。

それをみていた友人が後日私に手紙をくれたことがある。
「電車はお金を払って乗っているんだから当たり前で、
どうしてわざわざありがとうと言う必要があるんだろうと思っていたけど
言ってみたら、なんだか気持ちがよかった。ありがとう。」

たわいもないことだ。

日本語だって。英語だって。
「ありがとう」というのは、素敵な言葉だ。

だから、そう感じたときに

いつでも躊躇なく「ありがとう」と言えたら

世界はもっと素敵になると思う。


美奈子

# by minakoyoshino | 2012-03-20 09:19 | ◆energy | Comments(2)


昨日の午前1時
いつも笑顔だった木彫りをやる友人が
タイムズスクエアの地下鉄の駅で
携帯電話を拾うために線路に下り
そのまま電車に敷かれた。

日頃からビールが好きで
その夜も酔っていた。
顔も手も足も重傷なのに
頭の中だけは損傷がなかった。

もう当分動けない。
次はいつ彫れるかわからない。
いったいまた歩けるようになるのかさえも今はわからない。

誰もが明日は今日の続きだと思っている。
同じような毎日の繰り返しなのだろうと。
でも突然そうじゃない日がやってくる。

身体はいつまでも丈夫で健康では無く
命はいつまでも限りなくあるわけじゃ無く
もしあなたがラッキーだったら
人より少しだけ長く
やりたいことが続けられるのかもしれない。
でもそれは決して普通のことではなく
ほんとは「奇跡」のようなことなのだ。

集中治療室にいる友人のことを思いながら
私はブルブルと震える手でしっかりと鑿を握りなおした。
私が泣いていても彼は良くならないんだ。
”進むのよ、美奈子。”

立ち止まってはいけない。
立ち止まったらのまれる。
「今」というこの瞬間に
全身全霊一打ち一打ちに精魂を込めて
進むのよ,美奈子。
だって
明日は無いかもしれないんだ。
「今」やらなければ
「今」この手を止めたら
もう二度とこの石に触れることはないかもしれないのだ。


世界は

なんと儚ないのだろう

そして「今」は

なんと尊いのだろう


どうか再び

彼がまた鑿を持てますようにー。



吉野美奈子
# by minakoyoshino | 2011-10-22 09:19 | ◆energy | Comments(0)

SNSについて
私は未だに大理石を手で彫っていたり油で絵の具を溶いているような
ローテクノロジーな人間なので
あんまりこの手の話しは詳しくない。

どれも当然人に薦められて
よくわからないまま始まった。
というか、今でもぜんぜんよくわかってはいない。

実際そんなわかっていない私が
何を言おうとしているかというと、
確かにSNSの世界はすごいのだ。
同じ興味の人々と瞬時につながってしまう
その速度たるや驚きである。

と同時に哀しいかな、ひどい例もある。
だいたいそのようなものすごく嫌な気分になる例の発信者は
絶対ほとんど実名ではなし、顔写真もない。
あったとしてもおそらく本当のものではないのだろう。
ではなんのために発言するのだろう?
世界をただ不愉快にするため?

こんなことを言うのは
別にこれらのシステムを否定したいからではない。

何故なら
このようなシステムから実在の関係になり、
素晴らしい仕事ができたり、
深く信頼できる友人関係が、
実際に私の人生でもたくさん発生してしまっているからだ。

もう避けては通れないコミュニケーションのツールなのだろう。
ただ、私が残念なのは、
例えば特定の人を匿名で攻撃するようなツイートをみていると
自分の名前と顔を出していたら、
果たしてあなたは同じことが言えるのか?ーと問いたい。

ネットの世界にも身分証明書とか運転免許証とか
ポリスなんかも必要なんじゃないかと感じるのは
いったい私だけだろうか?


吉野美奈子ツイッターはこちらから:
Twitter@MinakoYoshino
アートと地球のツイートです。


# by minakoyoshino | 2011-07-01 11:15 | ◆etc. | Comments(2)
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